DTP WORLDの思い出
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僕が大学3年生の頃、一回取りつぶしになった後発行されていなかった学生新聞を新しく発行しようという動きが起こりました。これは、田中角栄の用意した広大な土地に建物を造ったのはいいけれども、都市計画がおざなりになっていたので、大学周辺のスイカ畑を潰してアパートばかりできてしまい(店や遊ぶ場所があまりにもないので、夜にやることがないから、同棲率が筑波の次に高いとか誰がいったか知らないうわさがまことしやかに流れていた)、大学という「街」に住む学生たちの情報流通が滞っているように思われた当時のキャンパスでは起こるべくして起こったムーブメントだったと思います。それが某教会系学生新聞との戦いになるとはそのときは知る由もなかったけれども。
そして、僕もそれにDTP機材調達・編集で参加することになったのですけれども、ちょうどその発刊準備作業をしている3月に創刊されたのが、DTP WORLDでした。
まだWindowsではDTPができないと言われていたころで、僕の調達した機器はWindows環境だったりして困りましたが、当時のDTP WORLDではWindows専門のページもあったりしたので参考になりました。Windows関係では、Windows Magazineとか、Windows DTP PRESSとか参考にしました。
春休み中にDTP WORLDをはじめ、いろんな書籍にあたり、Aldus PageMaker 5+OKI Microline 803PSIIのPPDを設定した仮想フォント環境でモリサワを本文に使って組版、印刷屋さんに出して青焼きもらって、1発目でそこそこのものが出ちゃった。
4月に無事初号を発行でき、組版の評判は最悪だったけれども、出したことに意義があるってことで、どんどん継続していくことになり、みんなで整理記者をやることになって、そこで活躍したのもやっぱりDTP WORLDの記事でした。
つうわけで編集室にはDTP WORLDのバックナンバーがてんこ盛りになっていきました。
そのころ某所でDTP WORLDの誌面にダメ出しが出ていたのですが、MacのDTPの機材的なノウハウは貯まっていた時期ですが、雑誌制作のノウハウって断片的にしか出てなかったんで、一発目から完璧にできない時代だったんだろうなーて今になって思います。
当時のDTP WORLDは手探りで記事を作っている感にあふれていました。DTP WORLDの休刊、懐かしくもあり、寂しくもあり。
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